ヴィレンドルフのヴィーナス

美しさに対する評価は人によって異なります。 ですから、客観的な定義はできません。時間をさかのぼって歴史的な記録が残っていない時代に行くと、当時の美の基準は今とは大きく異なることがわかります。世界史に興味のある方や美術史に興味のある方なら一度は聞いたことがあるヴィレンドルフのヴィーナス(Venus of Willendorf)を見たことがあるのではないでしょうか。ヴィレンドルフのヴィーナスは1908年にオーストリアで発見されました。
ミロ のヴィーナス

世界的な美の代名詞と呼ばれるルーブル美術館の「ミロのヴィーナス」とも大きな違いを見せるこのヴィーナス像は、先史時代の美術を代表するものであり、豊穣の豊かさを象徴していると考えられています。当時、女性がそれだけのパワーを持ち、崇拝の対象であったと推測されるからです。 記録された文書がないため、単なる推測の域に過ぎませんが、彫刻として残されるほど、当時は美の代名詞とされていたことは間違いなさそうです。
美しさの定義

このように時代によって、人によって、美しいと感じる基準が異なり、そのような数多くの基準があるため、美しさは優劣をつけられる対象ではないことも確かです。 それでも、美しさには共通の要素があります。一流講師として有名な現職の講師が孫子の声楽説を説明しながらこんなことを言っていました。 美しいものは珍しいから羨望の対象になる」そうです、美しいものは、基本的に珍しいものです。
変わらない基本

美しさには基本的な力があります。周囲の視線を引き寄せ、エネルギーを集中させます。 そんな存在はそうそういません。 だから、似てみたくなるのです。先史時代の美しさは、生命を開花させ、広く群れを導くことができる知恵そのものでした。時が経つにつれて、その生命力と生存力を表す対象は変わりましたが、基本は変わりません。 歯科的な美しさも同じです。今後、歯科的な美しさもそのような視点でブログを投稿していきたいと思います。
歯の整形は次に続きます。